― いままで背番号34番でいらしたので、44が新鮮です!34番は大エース(小野龍猛選手)がいらっしゃるので(笑)。
大学卒業後、15シーズンやってきて、そこからまた新しいチャレンジが始まるにあたって、あと10年やるつもりで頑張ろうという意気込みを込めて、44にしました。
― 入団発表時のコメントンに「自分のキャリアの最後のチャレンジ」とありましたが…。年齢、タイミング、そしてリーグなどの外部環境を考えると、トップチームでやるチャレンジとしては最後になるんじゃないかなという気持ちがあります。広島カープの黒田博樹投手が、「あと何球かしか残っていないんだから、それに全部を出し尽くすんだ」ておっしゃってました
(*)けど、すごく気持ちがわかります。そういうつもりで、全力でできるのがあと何プレーなのかを考えて、1プレー1プレーを大事にしていきたいと思います。
(*) 2015年1月、元ヤンキースの黒田博樹投手(当時39歳)が、8年ぶりに広島カープに復帰するにあたり、取材陣に語ったと報じられている。― ジェッツに移籍した決め手を教えてください。プロチームだということが一番大きいですね。島田慎二代表から熱心にお誘いを受けたということももちろんあります。
リンク栃木ブレックスを離れて、これからプロリーグを作らなければいけないという流れの中で、プロ化していく意識を運営サイドにも選手サイドにも植えつける動きをしたいと思って企業チームに行きました。が、今季からプロリーグができることになり、自分のチャレンジをどこに持っていきたいのか考えたときに、やはりプロチームに行きたいなという思いがありました。
何度かジェッツと対戦した中で、アリーナの雰囲気がよく、観客動員数が日本一というお客さんの前で、最後のプレーを大事にしているところをベテランとして見せることが最後の仕事だなと。いろいろな条件が揃って、ここしかない!と思いました。
― プロの選手にこだわっていた伊藤選手だからこそ、ジェッツの会場というのはグッとくるものがあったのではないですか?それはありますね。ここで毎試合できたら楽しいだろうなって。
子どもがバスケットボールを選んで、バスケット選手を目指すというのが、これからのバスケット界で一番大事なことだと思っています。バスケット業界として、親御さんも含めてプロ選手を目指させる環境作りです。プロ選手になれるのは一握りかもしれないけど、そこを目標に人生を歩むとう選択肢をもってもらえるように、プロ選手として千葉でやっていければいいなと、そんな風に漠然と考えています。
幼稚園訪問などで子どもたちにアプローチし、身近に感じてもらうことからはじめて、そこからどういう人生がつながっているのかを表現できればと思っています。
― ジェッツはそういう取り組みにも積極的なので楽しみですね。そうですね。もともとバスケに興味のある子が参加するクリニックとは別に、「バスケってなに?」「プロってなに?」というところにアプローチしていかないといけないと思っています。
元ヤクルトスワローズの宮本慎也さんが、幼稚園児にティーバッティングを教えることで野球というものを伝えて、その中から何人か残ってくれるんじゃないかとおっしゃっています。そういう活動のために、幼稚園、保育園にアプローチしていけたらなと思います。
― 以前ジェッツでも、6歳以下を対象にしたクリニックに選手が参加したことがありました。6歳以下でも、意外にできるものですね。ドリブルとかはちょっと教えればできるようになりますよ。ボールを輪っかに通すとか、ボール遊びが楽しいよということをわかってもらい、そこからバスケを知ってもらって観戦につながればなと思います。
― お子さんがお好きなんですね。好きですねぇ。
― 七夕の短冊に「子どもがたくさんうまれますように」と書いてらっしゃいましたが、何人ほしいんですか…?いや、あれは「世の中で」ということなんですよ(笑)。近所で七夕まつりをやっていたので娘に短冊を書かせたら、それを書いたんですよね。「子どもがたくさん生まれますように」って。どうやら自分の子どもがほしいみたいですね。少子化が問題視される時代に、なかなかするどいですね(笑)。